OAK(2013-2014)
出場なし
2000年度のドラフト会議で西武ライオンズに入団。松井稼頭央が移籍した2004年からショートのレギュラーに定着し、チームの主軸として活躍した。2012年オフに海外FA権を行使し、アスレチックスに移籍。しかしスプリングトレーニングから結果が出ない事に加え、故障により開幕をAAAで迎えた。その後マイナーでも結果を残す事ができず、2年間でMLB昇格を果たすことができないまま退団となった。アスレチックスのビリー・ビーンGMは中島の獲得について「大失敗だった」と酷評される始末。2015年シーズンより日本球界に復帰するが、かつてのような活躍はできていない。
ライオンズ時代の2010年に両リーグワーストのUZR−19.4、201年にはUZR−23.2を記録するなど、守備範囲はかなり狭い為、守備関連の能力はかなり低めに設定した。MLBでも250、10本塁打くらいは打てると思っていましたが、まさか1打席も立たずに帰国するとは思ってませんでした。